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「2025年問題と私たちの役割について」

皆さん、こんにちは。私は訪問リハビリマッサージ師として、10年以上様々な人々の健康サポートをしてきました。

 

 

今日は、大人たちが頭を悩ませている「2025年問題」について、中学生でも理解できるように解説していきます。

 

 

まず、"2025年問題"とは何でしょうか。これは、日本の人口が年々高齢化していく中で、その高齢化が2025年にピークに達すると予想されている問題を指します。

 

 

年を取ると、体の機能が徐々に衰えてきて、日々の生活を送る上で支援が必要になる人が増えます。それが全国的に起こると、介護のニーズが大きく増え、それに対応するための施設や人材が不足する可能性が出てきます。

 

私たちマッサージ師は、高齢者が自分の体を健康に保つお手伝いをします。体をうまく動かすためのリハビリマッサージを提供したり、日常生活で必要な筋力を保つためのサポートをします。しかし、この問題には私たちだけでなく、各家庭、地域、さらには国全体で取り組む必要があります。

 

それでは、自分たちには何ができるのでしょうか。

 

一つ目は、自分自身の健康に気をつけること。

 

バランスの良い食事、適度な運動、十分な休息は、未来のあなた自身が健康でいられるための基盤を作ります。

 

二つ目は、高齢者のサポートです。おじいちゃんやおばあちゃんがいる家庭では、普段から話を聞いたり、家事を手伝ったりすることで、高齢者の生活の支えとなることができます。

 

最後に、地域活動に参加すること。地域の清掃活動や、地域のお年寄り向けのイベントのボランティアなどに参加することで、社会に貢献することができます。

 

2025年問題は、すべての世代が一緒になって考え、行動を起こさなければならない問題です。

 

だからこそ、私たち一人一人ができることから始めて、社会全体でこの問題に向き合うことが重要です。

 

最後に、自分たちが高齢者となる時代に向けての準備を始めることも大切です。

 

自分自身の健康維持はもちろん、老後の生活設計や貯蓄計画など、これからの人生を見据えた行動を取ることで、未来の自分を守ることができます。

 

2025年問題は、私たちが一緒に解決を目指さなければならない課題です。それぞれができる範囲から始め、社会全体で協力することで、高齢者も若者もみんなが幸せに生活できる社会を目指しましょう。

 

自分の行動が社会全体を良くする一部となることを忘れないでください。

 

今日は「2025年問題と私たちの役割」について話しました。それでは、また次の機会にお会いしましょう!

 

ストレスを減らすための方法は「行動の自動化」

 

 


生きているとイライラすることがふりかかってきますよね。

 


通勤時、仕事でのお客さんとのやりとり、社内の人間関係。家族のちょっとした行動。

 

 

私もくだらない事に反応してしまって一日中怒りで台無しにしてしまうことがよくありました。

 


いかに頑張らずに楽して生産性の高い成果を出すか。

 

 

無意識化してちょっとしたことに反応しない精神をつくりだす。

 


雑念をはらい苛立ちや反芻思考にとらわれないようにする。

 


そうする事によって人生のクオリティーが上がってくるようになる手応えが感じられる

 

 


無意識化することによって継続力も身につきます。

 

 

人間は日によってメンタルの上げ下げが波打つグラフのようになります。

 

 

いつも安定しているわけじゃありませんよね。

 


日々同じ行動同じ動作を行うところまで身体を使うと無意識にうごけるようになる。

 


そんな毎日はロボットのようでつまらないと思う方もいると思います。

 

 

しかし人間の意志力は自分の経験からすると量が決まっているとおもいます。

 


なので日常的な雑事やわずらわしいことに消耗せず大事な事に自分の意志力を使いたいです。

 

 

ますは、朝のルーティンを毎日おなじにする。

 

 

ふとんをたたむパターンも服を着る順番もそうすれば朝もすんなり起きれるようになりました。

 


顔をあらいうがいをして髭を剃り歯を軽く磨く。

 

 

毎日同じ行動。できるだけ無駄な意志力を消耗しないように。

 


通勤もできるだけ毎日同じルート同じ道筋をトレースしていくように歩く。

 

無駄な雑念が入らないよう足の裏を意識して歩き音楽やオーディオブックでモヤモヤした意識から感情をそらす。

 


そうして日々を過ごしていくとだいぶストレスは軽減されました。

 


行動の自動化、習慣化は人生における戦略級スキルだと思いました。

介護リスク

ある程度の年齢になると親の介護リスクがでてくる。


自分の親は今のところ自立はできているが年を追うごとに介護リスクが高まっていく。


自分の父親は何もないところで転んで怪我をすることがおきるようになってしまった。


高齢者でも筋トレや歩行はとても大事だと思う。


自分でトイレに行けなくなりお風呂も入れなくなる事ほどつらいものはないだろう。


施設に入れれば民間で月25万年で300万


10年生きたら3000万両親二人なら6000万。


もう家を買えるくらいのレベルです。


できるだけ親に健康でいてもらう事も自分たちの人生へのリスクヘッジになる。


今のご時世子供は一人か二人だから一人の負担が大きくなる。親世代は兄弟が5、6人なんていうのがざらだったので介護負担を分散できる。一人っ子だとなおさらつらいだろう。


最近はヤングケアラーなんて言葉も頻繁に聞くようになった。


10代20代の子が祖父や祖母を介護しなくてはならない事態が目立つようになってきた。


若い時の時間を奪ってしまうのはあまりに残酷だと思う。10代20代には今この瞬間を味わって生きれるようになってもらいたい。


人間いつ死ぬかわからない。どこまで生きながらえるのかもわからない。一番つらいのは病気で体が不自由になり自分でトイレも行けなくなってしまうこと。


自分自身の健康メンテナンスも重要なことだと思う。


だからこないだ人間ドックに行ってきた。


6万円かかったが自分への健康投資だと思っている。


自分自身もある程度歳を言ったらめんどくさがらずに健康にお金をたかうべきだと思う。


長生きするともりはないという人間がたまにいるが人は簡単には死ねない。


中途半端に生き残ってしまうとじぶんが辛い思いをすることになる。


介護リスクは自分たちがよりよく生きるために避けては通れない問題だと思う。

 

余命10年

余命10年。あと10年しか生きられないとしたら何をするか?


今そんなタイトルの映画が上映されているらしい。何年か前にこの原作の小説を読んだのを思い出した。

 

先月身近な人間が40代で死んだのを機に人間ドックを受ける事にした。六万円かかったがある程度年齢がいけば10年に一回くらいはやっておくのもいいと思う。

 

最近は海底火山の噴火が多くトンガやパプワニューギニアなどで大規模な噴火が起きている。


日本も首都直下型地震南海トラフ地震はいつ起きてもおかしくない状態だと言う。


東日本大震災から11年が経った。自然災害が多くなり新型コロナは収まる気配がない。2022年はロシアによるウクライナ侵攻で戦争まで起きてしまった。

 

20年位前は映画で隕石が地球に衝突して地球が滅亡すると言う映画が流行った。


それはあくまでエンターテイメントの中の話だったが今の世界を見ているといつ何時何が起きてもおかしくない状態になっている。

 

人生100年時代というが誰もがそこまで生きれる保証はない。


死はいつどの方角から突然襲ってくるのかは誰にもわからない。いつも死を意識して生きることで生きる実感を持つことができるかもしれない。


昔の哲学者も日本の昔の僧侶も死を意識することの大切さを時代が違えど訴えている。


ティージョブズも「明日死ぬとしたら今日している事をするのか」と毎日問いかけていたという。


自分が納得して最後をむかえる事ができるためにどう生きるか。


惰性で無難に損をしないように生きる。それで生きている実感がもてるのか。

 

最近生活がマンネリ化して惰性で生きてしまっている自分に言い聞かせよう。


まだ人生の折り返し地点にも辿り着いてない自分。まだいけると自分に言い聞かせて一歩ずつ踏み締めていく。


目的地は決めなくていい。それよりその時おもしろいと思った方に歩いていく。その方が人生おもしろくなりそうだ。

 

生活の習慣化と自動化で積み重ねながらこの人生がどこにたどりつくのか。


ドリフトしながら楽しんでいこう。

 

 

 

死をかたわらに

こないだ知り合いが43で末期ガンで死にました。

 

知り合いといってももう何十年もあっていませんでした。

 

彼はマンガ家を目指しておりバイトをしながらその夢にまんしんしていました。

 

聞くところによるとスマホも持っておらず友達も彼女もいないようでした。

 

夢半ばで何もなしとげらず何者にもなれず死んでいった。

 

彼は納得して旅立つことができたのだろうか?私はこう思いたい。

 

自分の好きなことにむかってやりたいようにやれたんだ。

 

「夢は叶わなかったが納得して死を迎え入れることができたのだと」。

 

ティーブンジョブスは「明日死ぬとしたら今日やっている事をやるのか答えがノーならば生き方を考えなおしたほうがいい」といいました。

 

なぜかこの言葉が脳内でリピートされます。

 

死をかたわらに。

 

死はいつどこでどの方角から突然訪れるのかは誰にも分からない。

 

死をかたわらにおくことによって一日一日を大切に使うことができるように思えます。

 

人生の最後には納得して悔いを残さず生き切りたいですね。

 

 

 

 

もうだめだとおもった時見るアニメ

 

 

エヴァンゲリオンの新作の映画が上映されたみたいですね。何本か記事を読んでみたけどエヴァ好きの人の深い思い入れはすごいですね。

 

あそこまで本当に好きなものがあると言う事は人生にとって生きる実感を持てると言うものです。

 

私がハマったのはエヴァンゲリオンを作った同じく会社の「天元突破グレンラガン」というアニメにハマりましたね。

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もともとあまりアニメとか見ない人間だったんですがアマゾンプライムでプライムビデオが見れる様になり5年くらい前からアニメを頻繁にみるようになりました。

 

最初グレンラガンを見た時は子供向けのロボットアニメだと思いそんな真剣には見ていませんでした。5話ぐらいから話の展開が急激に変わってゆきどんどんすいこまれていきました。

 

主人公が挫折や失恋を乗り越えていく姿にこの年になって感動するとは思いませんでした。

主人公の精神の思いが自分の操縦するロボットに影響をうけ相手のロボットの能力を乗っ取って自分の武器にしていくところが斬新でした。

 

エヴァンゲリオンはどちらかというと少し暗めですがグレンラガンはおバカやって笑えるところが結構ありシリアスな場面といい感じで組み合わさっておもしろいです。

 

自分のメンタルが落ちたりモチベーションが上がらなかった時はスマホにダウンロードした自分にとっての名場面を見返して自分の心を震わせて前にいく原動力にしています。

 

中でもラスボスとの戦いでもうダメかと言う時にでてくる主人公達の言葉が自分を奮い立たせます。

 

「俺たちは1分前の俺たちより進化する1回転すればほんの少しだが前に進むそれがドリルなんだよ」この言葉を辛い時やもうダメだと思った時この言葉を脳内でリピートします。

 

このアニメのラストシーンは最初見た時は納得いかず喪失感が心を覆いました。何年か経って見返していくとあのラストシーンが腑に落ちていく自分がそこにいました。

 

エヴァンゲリオンも時代に名を馳せた名作ですがその影で自分にとってはグレンラガンが名作になりました。

 

中川翔子さんの歌う主題歌がまたアニメにとっても合っていて主題歌の空色daysと挿入歌のhappily ever afterは何十回も聞きまくりました。

 

外国人に日本のアニメファンが多いのも納得がいきます。

 

今はスマホでアニメが見られるようになり身近になってこんな名作にあって本当によかったです。

 

以上です。